先程ブログを書き終えた後、D陣の日記を見ましてね。
今日は久々に「う」さんの日記だったのです。
「う」さんの今日の日記は長かったです。
けどねすごく内容が良くてね。
チョイトばかし後半部分を紹介。
以下、「う」さんの日記。
さて、本日掲示板をパトロールしておりましたら、
「故郷というのは人だ」と誰かが書いていたのを読んだことがありますと
おっしゃってらしたかたがおられましたが、
嬉野もそう思います。
故郷は人ですよ。
懐かしいのは人なのです。
だってぼくら人は、関係性の中で生きる者ですから。
品物を買う時、僕らは思いますよね。
やっぱり同じお金を出して買うのなら、少しでも優秀な物を買いたいと。
電化製品だってなんだって、出来の良い、優秀な品質の物を買いたいと。
そんな思考に慣れてしまっているから、
人も商品と同じように優秀な人物のほうが価値があると思いがちです。
でも、ぼくは思います。
人の価値とは、絶対的なものではないんですよ。
その人が、自分にとって無くてはならない人であれば、
自分にとってその人は掛け替えのない人なのです。
それだけなのですよ、人の価値とは。
いろんなことが出来る人が、何にも出来ない人と仲良くなることがあります。
世間から何にも出来ないと思われている人の中に、
何でも出来ると思われている人が、自分に足りないものを発見して、
不思議と二人が尊敬しあうということがあります。
割れ鍋にとじぶた。
タデ食う虫も好きずき。
昔からいろんな言われ方をしているこれら言葉の数々は、
人間の価値というものは、絶対的なものではなく、
関係性の中で始めて生まれるのだということを言っているのだと、
ぼくは思います。
昔、三竦み(みすくみ)という言葉があったように思います。
AはBより強いのです。
でもそんなBもCよりは強いのです。
じゃぁCが一番弱いのかというと意外やCはAに強いのです。
こうして三者それぞれが、輪につながって、それぞれがそれぞれに、
誰かに強く誰かに弱いのです。
こうして、ゲームは面白くなるのです。
誰かが頂点に立ち、絶対的な力を持ち、あとの者が自分より弱い者を
作っていくだけのような世界しか作りえないゲームは、
けっして面白くなりようがないのです。
時代も世の中もゲームも同じようなものだと思います。
ある者だけが得をし続け、ある者だけが損をし続ける。
そんな仕組みしか持たない世の中が面白くなるわけが無いのです。
面白くないゲームに人が飽きるように、面白くない世の中にも
人は飽きるはずす。人が世の中に飽きたら、
世の中はどうなってしまうのでしょうか。そんなことを思います。
誰からも尊敬される人になることを望むより、
自分が大事に思う人から大切に思われるように努力するほうが、
よほど楽しいのではないでしょうか。
誰もが世の中のみんなから尊敬される人気者になることを
志向する世の中は、三竦み(みすくみ)であることを否定する
社会を作るような気がします。
誰もの頂点に立つことなんか忘れて、世の中の誰にも
評価されない人だけれども自分に無い好いものを
持っていると思うなら、その人と仲良くしてみる、
その行為が、ひょっとすると三竦み(みすくみ)の
世の中を作るのかもしれないと、
なんだか、書きながら思ったのでありましたよ。
捨てる神があれば、拾う神もまたあるのです。
素直に考えれば、人というのは、本来そういったものだと、
ぼくには思えるのです。
説教くさかったすか(笑)。
でも、そう思うのです。
じゃ、また明日。
明日はお休みだけど、クラシックの編集があるので出てきます。
また明日、お集まりくださいませ。
解散!
もうね一言
「その通り!」
今日は色々と感動する1日でした。
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